FUKUI&SABAE
めがねの産地 福井・鯖江
JAPAN GLASSES FACTORY
自然、伝統文化、ものづくり、そしてめがねのまち
緑と清流に恵まれた山々、日本海の荒波が作り出す壮大な景観が広がる海岸など素朴で飾らない自然の美しさ。
人々の心を支えてきた神社仏閣や五穀豊穣を祈り受け継がれてきた祭りなどの文化。
そして職人の手で一つ一つ丁寧に仕上げられる漆器、和紙、打刃物などものづくりの伝統。
ここ福井県は、自然、伝統文化、そしてものづくりの心が息づくまちです。
眼鏡のまち 福井・鯖江。その歴史は、雪深く産業がない農業だけの地元の暮らしを向上させるため、
「国産のめがねの祖」とも呼ばれる増永五左衛門が、大阪からめがね職人を招き、
足羽郡麻生津村生野(現・福井市生野町)で農家の副業として広めたことから始まりました。
第二次世界大戦が終戦を迎えると、めがねの需要がさらに高まり、
セルロイドフレームやサングラス、そしてそれを作り出すブランドが数多く生まれました。
そして、1981年には、世界で初めて、軽くて丈夫なチタン製めがねを開発・生産をおこなうことで、
国際的なめがねの産地としての地位を築き上げ、イタリア・中国と共に世界の三大めがね産地となりました。
近年ではチタン加工の技術を医療や電子機器などに生かし、
めがねづくりの熱い想いが、幅広い分野に広がっています。
世界に誇る福井・鯖江のめがねは、多いものでは200以上の工程を経て完成されます。
それらの工程一つ一つは専門の工場・職人たちによる分業により成り立っており、
そのような産地内分業の中での厳しい品質確認・管理により、良質なめがねが生み出されています。
また、生産効率化のために機械設備が取り入れられていますが、今でも多くの重要な工程は職人たちの目と手で丹念に行なわれています。
本当に精度が高く使い手に優しいめがねは、機械だけでは作ることができないためです。
そして、それぞれの職人たちは携わる工程こそ違いますが、皆共通の想いと使命感をもってめがねを作り続けています。
「ずっとかけるものだから、最高のかけ心地を。」
めがねは顔にかけて毎日の生活の一部となるもの。
それ故に、「簡単に壊れることなく、使い手がかけていることを忘れるようなかけ心地の良い一本にしなければならない」
各工程の職人たちはそのような想いと使命感を次の工程へと繋いでいっているのです。